【人間ならば、男女に別れなければならない。
男女のそれぞれの社会的な役割分担を全うすることが
人間としての義務であり、その上に人権というものが
成り立っている】
日本に未だ根強く残っている風習のように感じます。
社会的な役割分担を全うしていない者は
人間として認められないんですか!?と問いかけたくなる。
例えば。
『メインで社会を支える活動をしていて、
メインの補佐として社会に貢献するサブがいる。
メインがマジョリティと言われている人ならば、
サブはマイノリティと言われる人たちである』
そういった解釈があっても、いいんじゃないのかな?
世の中の全員が全員、メインな存在になったら、
サブな存在の人がいなくなる。
サブだってメインをサポートするという重要な
役割を持って存在している。
もうちょっと、肯定的な視覚を持つことが出来る
世の中になればいいのに、と思う。
サブがメインをサポートするのは
“やって当たり前”なわけじゃないし、
マイノリティがサブとしての役割で存在していないことが
生意気なわけでもないし、
そもそも、マイノリティであることで
生きている価値がないわけでもない。
LGBTへの容認が世界の中では遅れている日本の中で
一番、それが遅れている分野が
トランスジェンダーの世界に生きる人たちであり。
それに属する自分も、他人事とは思えないものがあります。
固定観念の緩和を社会全体が上手に行っていくことで、
個として認め合えるようになってくると思うんですよね。